神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。 わたしはアルファであり、オメガである。 ヨハネの黙示録1章8節

日曜日の朝のひととき
ご一緒に聖書の言葉に耳を傾けてみませんか?

日曜学校:毎週日曜日 午前9時15分より
主日礼拝:毎週日曜日 午前10時半より
どなたでもご自由に参加いただけます。

夙川教会はプロテスタントの会派のひとつである、日本キリスト教会に属する教会です。
お問い合わせ等は、
TEL. 0798-74-0212 Email. info@shukugawa-church.net(牧師 石束)までお気軽にどうぞ。

日本キリスト教会 夙川教会
〒662-0072 兵庫県西宮市豊楽町2-11

お知らせ

牧師のおはなし 私達は毎週日曜日、様々な聖書の言葉に耳を傾けています。下記、ある日曜日の説教です。

「独りではなかった人生」ヨハネによる福音書4:7―21

わたしたちは誰でも、ふとした瞬間に孤独をおぼえる時があるのではないでしょうか。周りにいくら大勢の人がいても「自分は理解されていない」「自分は人とはどこか違う」「自分は重んじられていない」という考えにとりつかれてしまうとき、自分は孤独だと思います。今の社会には「孤独というのはとにかくいけないことだ」という風潮があります。新しい学校生活を始めた子どもにまず聞くのは「友だちできた?」でありますし、高齢者の施設に入られたばかりのお年寄りにお尋ねするのも「お友だちはできましたか?」というものです。「孤独な人、孤立する人をつくらないように」と言われることは確かにその通りだと思いますけれども、このことが声高に言われれば言われるだけ、逆にわたしたち人間は孤独なのだと思わされるのです。

このように、孤独がわたしたちの本質に深くかかわるものであるだけに、孤独にまつわる言葉も数多く残されました。ドイツの詩人へルマン・ヘッセは「人生とは孤独であるということだ」といいました。ロシアの文豪トルストイは「孤独なとき、人間はまことの自分自身を感じる」と言い、孤独であることが本当の自分自身を知る手がかりになるという考えを示しました。フランスの作家アルベール・カミュは「意志もまた、一つの孤独である」と語り、人が自分固有の意思を持つならば、それは他と自分を区別することになり、必然的に孤独感を生じさせるという考えを示しました。こうした孤独にまつわる言葉を並べてみると、わたしたちが一人の人間として生きるということは、孤独を生きることなのだということになるのではないでしょうか。おそらく全ての人が、実感として知っているように、わたしたちは独りで生まれて独りで死んでいきます。つまりは孤独なのであります。その孤独から解放されるために、人はその間の人生において、できるだけたくさんの人たちと出会い、関係を持ち、大勢の人々に囲まれていようとするのではないでしょうか。しかし、今朝、わたしたちに与えられている聖書の御言葉は、あなたは独りではないと告げているのです。いくら人々に裏切られても、理解されなくても、皆が自分を責める時も、そのような外部のいかなる状況にも関わらず、「あなたは独りではない」と告げているのです。

ヨハネによる福音書4章7ー21節に記された物語には、ある孤独な女性と主イエスとの対話が描かれています。あるとき、主イエスがサマリアの町に来られて、旅に疲れてヤコブの井戸に座られました。それは「正午ごろのことである」と書かれています。パレスチナの夏というのは雨が降らず、乾燥していますから、井戸に水汲みにいくのは朝か夕方の比較的しのぎやすい時間帯にいくのが普通でした。町の女性たちは朝か夕の同じ時間帯に水汲みにいきますから、当然その井戸で近所の顔見知りの女性たちが顔を合わせ、水汲みの順番待ちをしながらおしゃべりをすることになるでしょう。料理の話や育児の話、近所のうわさ話に花が咲きます。そういう家事の合間にする女性同士のおしゃべりというのは楽しみのひとつであったでしょうが、この女性はそのような楽しい語らいの場に入っていけなかったのです。だから、わざわざ日の照りつける、だれも外を歩かないような時間帯に、人目を避けて水汲みにやってきたのでした。そして、そのような孤独な女性に、主イエスは「水をのませてください」と声をかけられたのです。それは、沈んだ顔つきを捨てて、喜んで生きることの出来る道へ導くためだったのです。

しかし、孤独に打ち拉がれている人を、立ち直らせることは、並大抵のことではありません。単に「あなたはひとりではありませんよ。わたしがいますよ」と言っただけでは、その閉ざされた心に手が届きません。この主イエスとサマリアの女性との対話を読みますと、主イエスが本当の意味でこのサマリアの女性と出会うまで、その心に触れるまで、段階としましては大きく3つの段階を経ていることが読み取れます。そして、この3つの段階とは、今のわたしたちの世界におきましても、全く神さまのことを知らない人が、神さまと出会い、神さまを信じるように変えられていく道筋でもあるのです。ですから、このサマリアの女性と主イエスとの出会いの物語は、全ての人の物語です。わたしたちが、主イエスにお会いする時に、どういうことを経験し、何が与えられ、その後の歩みがどう変えられていくのか、ということの一例をここに見ることが出来るのです。

では、このサマリアの女性はどのようにして導かれていったのでしょうか。最初の働きかけは、主イエスの方からでした。主イエスの方から「水をのませてください」と声をかけられるのです。これは、わたしたちの方からではなく、神さまの働きかけが先行しているということです。そして、その主イエスの招きの言葉というのは「水を飲ませてください」という何気ない言葉でした。ごく当たり前の、どこででも交わされる言葉です。わたしたちの場合ですと「教会に来てみませんか」という何気ないお誘いの言葉ということになるでしょう。しかし、この女性は、その招きを断ってしまうのです。「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言って、主イエスの申し出を断ってしまったのです。せっかく、主イエスの方から声をかけてくださっているのに、にべもない返事をしてしまいました。わたしたちはだれでもこのように、最初は、神さまの招きを拒否してしまうものなのです。

では、何が原因で神さまの招きを拒んでしまうのでしょうか。それは、その人が持っている先入観や価値観、あるいはその時代の常識です。彼女の場合は「ユダヤ人はサマリア人とは交際しないから」(9節)というものでした。ユダヤ人は純血であることを重んじる民でしたが、サマリア人は混血であったため、ユダヤ人から軽蔑されていたのです。ですから、このサマリアの女性は、ユダヤ人は皆、サマリアを汚れていると軽蔑するのに、どうしてユダヤ人のあなたが、わたしに「水を飲ませてください」と頼むのですか、と言っているのです。純血であるから清い、混血であるから汚れているなどというのは、当時のユダヤ人社会における認識に過ぎません。しかし、そういうものがまさに、神さまとの出会いを破壊してしまうのです。

こういうことは今も同じです。神様がわたしたちを招いてくださっています。ところが、現代の考え方がその間に横たわってしまうのです。それは例えば「科学によってあらゆるこの世の成り立ちについての謎が解明されているこの時代に、神を信じるなど時代錯誤である」という考え方があるかもしれません。あるいは、「神様を信じなくても充実した生活を送れる」という満たされた生活が神さまと人とを隔てているかも知れません。さらには「そもそも私はキリスト教とは関係がない」という無関心があるかもしれません。他にも「先祖伝来の宗教がある」「家族が教会に行くことを許してくれない」など、種々の事情が隔ての壁になって主イエスとの出会いを隔ててしまうのです。新約聖書の時代も今も、神様が差し伸べてくださった招きを、わたしたちはこのように始めは拒絶してしまうものなのであります。もしかしたら、みなさんも思い返して御覧になられると、何度も何度も神様の招きの声が聞こえていたけれども、その度にいろいろな理由によって、その招きを避けてきたということがおありかもしれません。いずれにしましても、これが第一の段階です。神さまが招き、人はその招きを受入れることが出来ないのです。

しかし、時が来れば第二の段階に導かれていくのです。もし、このままサマリアの女性と主イエスが別れてしまったならば、そこに出会いは起りませんでした。「あなたはユダヤ人でわたしはサマリア人です。あなたとわたしは何の関係もありません。」それで終わっていれば、主イエスとこの女性は単にすれ違っただけで、運命を変えるような出会いとはなりませんでした。では、どうしてこのまま終わらなかったのでしょう。どうしてこの女性は主イエスとの出会いへと導かれたのでしょう。それは、対話をしたからです。彼女は拒絶することも出来たのです。しかし、彼女は主イエスの言葉を聞こうとしました。それは小さな決意であったかもしれません。しかし、その小さな決意が運命を拓くことになったのです。

教会においても毎日曜日に礼拝が捧げられ、神の言葉の解き明かしとしての説教が語られています。この説教というのは、単なる人間の知恵や、説教者の体験談や思想ではありません。聖書の御言葉を今に生きるわたしたちへの語りかけとして聞くために、聖霊の執り成しのもとに語られるのが説教です。ですから、説教はいまここに集った者に対する神の語りかけなのです。このサマリアの女性は主の言葉に耳を傾けているうちに、主の招きに応じる決意が与えられたのです。「主よ、渇くことがないように、また、ここに汲みに来なくてもいいように、その水をください。」(15節)

わたしたちもまず聞くことが大切なのです。神さまの言葉そのものが持つ力に信頼し、御言葉に傾聴する、その小さな決意が計り知ることの出来ない恵みへとわたしたちを導くのです。

次に、ここからがサマリアの女性に光が差し込むことになる最後の段階です。物語で言うとクライマックスになります。主イエスは、道を求めようという決意を与えられたサマリアの女性に対し、16節から、話題を全く違う事に変えておられます。主イエスはこの女性に何と言われたかというと、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」といわれたのです。これはいったいどういうことでしょうか。これまで、夫の話をしてきたわけでも、夫が関係してくるような話をしてきたわけではないのです。それなのに、どうしてここで夫がでてくるのでしょうか。実は、この女性にとって、これこそが最も重大な悩みであり、その生涯の歩みを重苦しいものにさせていた原因だったのです。なぜなら、彼女は夫を5度も変えていたからです。もちろん、サマリアの女性は主イエスに対し、そのことを教えたわけではありません。ところが、主イエスはこの初対面の女性の秘密を知っておられたのです。5人の夫がいたことと、それに今連れ添っているのは正式の夫ではないことまで、主イエスはご存知でした。知るはずのないことを知られていたのです。このときの彼女の驚きはいかばかりであったでしょうか。心臓をつかまれるような衝撃だったのではないでしょうか。考えてみますと、今までに5人の夫がいたということは、5回結婚をしたということです。しかし、何らかの事情があって、5人の夫とは結婚生活を続けることが叶いませんでした。何があったのかは分かりません。男女が結婚生活を続けられなく原因はひとつではありません。どのような理由があったにせよ、この女性は5度も相手の男性を変えたのです。相手を変える度に「今度こそは幸せになりたい」と願ったことでしょうが、その願いが叶わなかったのです。その度に、この女性は深く傷つき、深い孤独に落ち込んでいったのでしょう。そして、その孤独から逃れるために、次の相手を求めていったのでしょう。5度も相手を求めるということは、孤独の恐ろしさをだれよりも鋭敏に感じていた女性であったのではないでしょうか。

けれども、そのような彼女の心や、孤独など、周囲の人々は理解いたしません。サマリアの人々はおそらくこの女性を身持ちの悪い女性として見たのでしょう。彼女は夫を変える度に、孤独がその深さを増し、それに追い討ちをかけるように、周りの人が自分を見るまなざしが苦痛だったのです。夏の昼の暑い最中に水を汲みにいかねばならないほど、町の人々の視線が痛かったのでしょう。そのような、彼女にとっての心の最奥部、だれにも触れられたくないし、触れさせもしない心の奥に、主イエスはあえて触れられたのです。なぜでしょうか。そうすることで、彼女と深く関わることになるからです。わたしたちでもそうではないでしょうか。人と話をしていて、「このことには触れない方がいいかな」という話題があるものです。それは、そのことに触れると相手の心に深く立ち入ってしまい、傷つけてしまうかもしれないと思われるようなことです。たとえば子供を失った方には子供の話をしないものですし、伴侶と何らかの原因で別れてしまった方には夫婦の話をしないものです。それは私たちが対人関係を持つときの心遣いというものでしょう。

けれども、ここで主イエスが彼女の夫の話を始められたのは、主イエスが無神経であるからではありません。逆に、彼女の心に深く触れるためでありました。そのことが彼女にまことの命を得させるために必要だったのです。これまでの対話では、まだ主イエスは彼女の心に触れてはおられませんでした。いわば、彼女の心の表面を通り過ぎていただけです。確かに対話の内容は深いものですが、それは彼女の心に触れていません。傷つきもしませんが彼女の生き方を変えるような力をも持ちません。しかし、夫の話題を持ち出されたとき、主イエスは同時に、彼女の心に無防備な裸の心に触れられたのです。つまり、このサマリアの女性に、夫のことを問われたのは、あなたの痛みを、あなたが人知れず流した涙をわたしは知っている、ということを伝えるためであったのです。そして、わたしたちが主イエスと出会うとはまさにこのことなのです。「このお方はわたしを知っておられる」「そしてわたしの傷みを受入れてくださり、共に苦しんでくださる」ということを知らされるのです。これがわたしたちが主イエスと出会うときに知らされることなのです。

わたしたちは生まれて来る時も独りならば、死ぬ時も独りです。何も持たずに生まれてきて、死ぬ時にも何も持っていけません。その生涯の間、たくさんの人々と出会い、喜び悲しみを経験し、いつのまにか年を重ね、老齢になり、命の日々を終える時を迎えます。その生涯の間、自分のことを一番よく理解してくれた人はだれでしょう。いつも自分の傍らにいてくれた人はだれなのでしょうか。いつでもどんなときでも、自分を見捨てず、励まし、慈しみを与え、愛してくださり、自分のことを心に覚えてくれる人はだれなのでしょう。今朝、聖書の御言葉を聞いたわたしたちは、その人こそ、イエス・キリストに他ならないことを告げられたのです。そして、わたしたちの心をすべて知り尽くしてくださるお方がいるならば、わたしたちはもはや孤独ではありません。いつも、わたしたちの傍らに、わたしたちの全てを知ってくださっている主イエス・キリストが共にいてくださるからです。

夙川教会 牧師 石束岳士

集会のご案内

日曜学校
毎週日曜日 午前9:15~10:15
まず、礼拝堂で礼拝を守り、その後幼稚科、小学校下級、小学校上級、中学科に分かれて聖書のお勉強をします。
その他様々な行事も開催されています。詳しくは「年間行事」をご覧ください。
主日礼拝
毎週日曜日 午前10:30~11:30
毎週50名ほどで礼拝をささげています。特にご用意いただくものはありません。お気軽にお越しください。
祈祷会
毎週水曜日 午後7:30~8:30(第2日曜日後の水曜日のみ 午前10:30~11:30)
聖書の学びのあと、出席者で祈ります。
家庭集会
教会員の御家庭をお借りしてでリラックスした雰囲気で聖書を学び、語り合います。
読書会
第2日曜日礼拝後
テキストを輪読し、ディスカッションをします。
求道者会
毎週日曜日 午前9:50~10:15
婦人会
第1金曜日 午前10:30~11:30
壮年会
第3日曜日礼拝後
高校生・青年会
第3日曜日礼拝後

どの集会もご自由にご参加いただけます。

夙川教会の沿革

夙川教会は、プロテスタントの会派のひとつである、
日本キリスト教会に属する教会です。

夙川教会の属する日本キリスト教会という会派は1872年福音主義プロテスタント諸教会派遣の宣教師たちの働きによって横浜に成立した日本最初のプロテスタント教会(日本基督公会)にその源を発しています。その後日本プロテスタント教会最大の教派となりましたが、太平洋戦争勃発の1941(昭16)年に宗教団体法によって日本基督教団成立に参加することとなりました。戦後宗教団体法が廃止されると信仰告白を大切にする教会を建てようとして旧日本基督教会の30数教会が教団を離れ1951年日本キリスト教会を創立しました。

その年の4月日本キリスト教会近畿中会創立中会において中会開拓伝道の指定を受けて同1951年7月8日最初の礼拝を高森安夫宅にて守り、伝道所開設式を行いました。これが夙川教会の始まりです。

わずか11名(小児2名を含む)で始まった集まりは、1958年には西宮市桜町に会堂を建てるまで成長し、1962年5月教会員数56名をもって独立教会建設式を行うに至りました。1965年4月には現在地を購入し、一粒社ヴォーリズ建築事務所の設計により新会堂を建て献堂式を行いました。

しかし1995年阪神淡路大震災によって会堂・牧師館は半壊。1998年、再び一粒社ヴォーリズ建築事務所の設計により総工費1億4,000万円で地下一階、地上二階の現会堂を建て、今に至っています。教会員数は119名(2010年末現在)です。

年間行事

イースター
イエス・キリストが復活されたことをお祝いする日です。
日曜学校では復活を意味する色とりどりの玉子が配られます。
クリスマス
25日の前の日曜日をクリスマス礼拝とし、イエス・キリストのご降誕をお祝いします。
礼拝後、各年代に分かれて準備してきた出し物を披露する祝会が開催されます。
24日の夜には礼拝堂での讃美礼拝後、豊楽公園にて讃美歌を歌います。
ピクニック
日曜学校生徒・ご家族のために春と秋の2回、開催します。
日曜日の午後、お弁当を持って出かけ、いろんな遊びをして楽しみます。
花火大会
日曜学校生徒のために夏休み最終の日曜日に開催されます。
教会の集会室で軽食を取ったあと、豊楽公園にて花火を楽しみます。
夏期学校
日曜学校生徒のために毎年7月末に1泊2日で開催しています。
聖書の物語を聞いて、絵を描いたり工作をしたり学びの時間とキャンプファイヤーや
ボール遊びをして体を動かし楽しい時間を過ごします。

夙川教会へのアクセス

阪急の場合
阪急神戸線「夙川駅」から甲陽園線に乗り換え、一駅目「苦楽園口駅」下車徒歩5分
JRの場合
JR芦屋駅からタクシーで約15分

お問い合わせは、TEL. 0798-74-0212 Email. info@shukugawa-church.net までお気軽にどうぞ。